いる概念、いらない概念

ただただ 個人的なメモ

記憶と興味の整理

知りたいことが沢山ある。

しかし、すべてを知ることはできないのだ。

 

もう、なかなかのいい大人になったので、

知りたいことと知らなくてよいことを

分別しないと時間がもったいなくなってきた。

残り時間の問題がある。

 

記憶力はまだまだあるつもりだけれど、

頭の中のデータが多くなるにつれ、

雑然としてきた。

 

覚えているはずなのに、サッと出てこない。

せっかくいろいろ勉強したのだから、

その知識を使えるように、パソコンでいう

最適化するための実験である。

 

興味のあることからまとめてみようと思う。

 

化学のこと

科学のこと

脳科学のこと

本のこと

ビールのこと

音楽のこと

経済のこと

お金のこと

哲学のこと

好きな作家のこと

面白そうな作家のこと

歴史上の人物のこと

今を生きる人のこと

文章のこと

言葉のこと

言語のこと

芸術のこと

数学のこと

パソコンのこと

仕事のこと

ただの興味本位

考え方のこと

論理学のこと

たまにある妄想や思考実験

偶然あった幸せなこと

どうでもいいことかもしれないこと

 

あとは何かあったら追加しよう。

さてどうなるか・・・・・・

 

 

週休4日ならいいのになっ

仕事なんてしたくない。

好きなことだけして生きていたい。

 

根本的世界がもっと容易に

生きられる世界だったら労働だなんて、

大層なことしなくても生きていけるのに

と思ってしまう。

 

草食動物のようにそこらにある

植物を食べれば生きていければ

人間独自の苦労は必要もない・・・・・・

 

いや違う。食事は好きだ。

せめて1日1000 Kcalで済めば、

少しは楽である。

 

神というものの”実物”は今のところ

人類とは出会っていないと思えるが、

このシステムになってしまった

原因、理由、因果を恨む。

いわゆる、サムシング・グレートを恨む。

 

しかしだ、

技術の発達によって数千年前よりかは、

働く必要はなくなったはずなのに

なぜだか人間はこんなに働いている。

いくらかは無駄に働いているようにしか

思えない。

 

僕の感覚では、人口の半分くらいは

なにもしなくても成り立つのではないか

と考えている・・・・・・

 

人類もっと楽ができんのか?

もっと楽に生きさせてくれ。

 

 

パソコン、マイコンいや、コンピュータってなんだ?

パーソナルコンピュータの

原理が知りたい。

 

010101010101の

演算の処理をすることまでは

なんとなくわかる。

 

それはわかるのだけれど、

どんな仕組みでそれをしているのか

全然わからない。

 

最近やっとパソコンのわかりやすい

例えを聞いた。

 

机に例えるのが良いそうだ。

 

机の広さはメモリ。

机の上が広いといろいろな

作業ができるという。

 

引き出しがハードディスク。

引き出しの部分で保存する。

 

椅子に座る人はCPU。

ここが仕事をするわけだ。

 

さてさて、CPUとはなんじゃらほい。

010101010101との関係がわからない。

演算処理はどの部品がするのだろうか。

どういう部品がどう動くのか?

 

0101とはなんなのか。

 

 

数学嫌いだと思ったのだけれど

数・・・・・・

 

数学は苦手。

計算は正しい手順を踏めば、

瞬く間に答えがでる。

 

そして、自身の計算や方法が

間違っていることがわかってしまう。

 

だから、苦手で嫌な学問だと思っていた。

 

今でも苦手で不出来なのは変わりはないが、

嫌いではないことに気が付いた。

ただ単に下手なだけ、ということ。

 

そう、上手には扱えないのだけれど、

考え方は好きだということ。

 

言ってみれば、楽器は演奏できないが

音楽を聴くのは好きというのと似たような

感覚である。

 

いろいろな本を読んで行くうちに、

数学ができる人というものと、

計算ができる人とはまた別もの

ということを知る。

 

そういういろいろなことを

若いうちに誰か教えてくれ

なかったものだろうか。

そうすれば一生懸命勉強したかも

しれない。

 

才能ある若者よ、

どうにか運良く

いい出会いに恵まれて欲しい

と、願うばかりだ・・・・・・

 

 

美しさはなぜ

大学生の頃、西洋美術史という

講義を履修した。

 

毎週楽しみにしていた地味な授業だ。

 

今や授業の内容は

ほどんど覚えていない。

しかし、教科書は今でも

手元にとってある。

 

同科の知人は楽にとれる単位

という理由で出席していたようだ。

 

化学と科学を学び始めた僕にとって、

美という数値化できない情報は

かなり興味深いものだった。

 

知人にとっては化学も美術も

どうでもいいものだったのだろう。

 

この授業で印象に残ったことは、

ルネサンスという時代以外の

西洋美術に関する時代の名称は

負、マイナス的な由来であると

教えられたことだ。

 

バロックロココ

印象派も負の名称だという。

 

僕自身は美術の専門家でもないため、

この真偽を見つける方法はないが、

講義の中のひとつの学びで、

美はより気になる世界となった。

 

 

言語学ではないけれど

なぜ人間は言語を生んだか?

 

たまたま、ふたつの要素が

重なったためなんだということは

わかる。

 

声帯が他の動物より様々な音を

扱えるようになったこと。

脳が突然大きくなったこと。

 

音によって意思疎通を進め、

長い時によって今の言語体系を

組み立てていったと思うと

気が遠くなる。

 

声帯が先か、脳の肥大が先か?

どこまでわかってるのか知らない。

 

他の動物も、人間ほどの声帯を持てば

数億年の内に脳は肥大化するのか?

 

バベルの塔で言語は分かれたとされる。

どう考えても嘘の話だが、しかしこれは、

なにか実際の出来事に由来しているようにも

思える。西の言語は理由があり分かれたことが

この時代の人にもわかっていたのだろう。

 

memo

【バベルの塔とは?】本当にあったの?神様が怒って壊した?なぜ?高くしすぎたから?ノアの方舟とも関係?そもそもどこに建っていた塔なの?【ブリューゲル1世】 - YouTube

 

もっと言語の研究が進むことで、

さらに不思議がわかることを楽しみに

している。

 

 

忘れたくない言葉がある

言葉と思考は同一のものと

言ってしまいたいくらいに

深い関係にみえる。

 

しかし、思考は個人のなかで

ぐるぐると回るものだが、

言葉はそのぐるぐるを他者に

伝える形に変化させている。

 

伝えるということは、

他者が考えた言葉を取り入れる

作業になる。

 

誰かがぐるぐる思考して、

作り出した言葉の中には、

本当に良い言葉、

人のためになる言葉がある。

 

どうもそんな言葉すら、

日々のどうでもいいことに流されて、

思い出せなくなってくる。

記憶は無限ではないし、

いずれ簡単に壊れる・・・・・・

 

大切で、助けてもらった言葉や

これから助けてくれそうな良い言葉は

ここに保存したいと思う。

また見返せばよい。

 

 

文章研究のはじめに

なぜこうも上手に言葉が伝わらないのか、

日々、悩む。

 

言葉、文章を使い続けて、

数十年になる。

それでもうまくならない。

 

ただ漠然と書くだけでは、

どうにもならないらしい。

それは僕が証明しているのだから、

誰も否定できない。

 

しかしだ、言葉というものは、

誰かが使った言葉から学び、

覚えていくしか方法がない。

 

ならば、どうにかこうにか

脳というわがままな記憶装置に

機嫌よく、上手な文章の作り方を

覚えて頂く術がどこかにあるらしい。

 

文のうまい人も同じ手段でしか、

上達する方法がないのだから。

 

と、考えついたところで我に返る。

 

僕の言っていることは論理を作っている

つもりなのだが実はとてもありきたりな

しごく当たり前のことだった。

なぜそんなことに気が付かなかったか。

 

結局のところ各学問と同じく、

良い学びを目指すしかないのであった。

そうなると良い学びとはなんなのだ・・・・・・

振りだしに戻るのであった。